富士山 富士五湖エリア

JoyFuL No.028

田舎暮らしがくれた、生きている実感

宮下珠樹さん
プロフィール

富士吉田市大明見
宮下珠樹さん(47)
大阪府大阪市より移住

宮下さんが山梨への移住を決意したのは短大生の時。
宮下さんは大阪で生まれ育ちましたが、ご両親の故郷である
富士吉田には夏休みなどに訪れていたそうです。

 短大時代の夏休み、宮下さんが富士吉田に滞在した際、気温の低い富士山麓ではコスモスが満開だったそうです。大阪へ帰る日には親戚の方がそのコスモスをおみやげにと株ごと持たせてくださいました。コスモスを両腕に抱えて、富士山を背負った河口湖駅のホームで電車を待っているときにストンと「あ、私はここで暮らそう」と思ったと言います。
 父親が大阪で営んでいた織物の仕事を手伝うことに決め、その会社のモノ作りの拠点が富士吉田にあったことから、大阪の専門学校に通い、デザイン会社で修業を積み、単身で富士吉田へと移住しました。
 移住を決意したきっかけについて、宮下さんは「モノ作りに携わるんだったら作ってる現場に行きたいと思いました。でも、本当は誰も知らないような田舎に一人で住みたかったのが一番かな。ちゃんと自分の足で立ちたかったんですね。」と当時を振り返って笑みをこぼしていました。
 ご両親と一緒に暮らしていた大阪時代、自分の生活のうち何%を自分で担えているのか、何%を人に依存しているのかが分からず、「自分で生きていきたい」「人に頼りたくない」という思いを持っていたそうです。そんな宮下さんを待っていたのは富士吉田での未知の暮らしでした。
 ひとり富士吉田で過ごす初めての冬、大阪で生まれ育った宮下さんに「水道が凍る」「道が凍る」という発想はありませんでした。凍った水道管、日の当たらない凍った道、初めて向き合った困難を、宮下さんはひとつひとつ誰かに聞き、自分で考えて乗り越えていきました。「これは大変だと思ったんですけど、初めて『自分で生きている』って実感が持てました」。試行錯誤の毎日、すごく大変だけれど、すごく新鮮な生活。そんな富士吉田での生活は、都会では味わえなかった『自分の力で生きている実感』を宮下さんに与えてくれました。

今ここに暮らしているのは
富士山があるからこそ

 富士山の湧水で糸を染め、恵まれた自然の中で織りだされる『ふじやま織り』。宮下さんはテキスタイルデザイナーとして、ふじやま織りの生地をデザインしています。デザインし、紋のデータを作り、織機にかけて布を作る。時には自然の花や虫の造作からインスピレーションを得て、絵柄に仕立てることもあります。
 「もし、富士山がなかったら私はここにいないと思うんですよ」。富士山の湧水があったからこそ、この地に育まれた織物の技術。もし富士山がなければ、富士吉田に織物の産業は発展せず、宮下さんが織物の道を志すこともありませんでした。
 一瞬一瞬を精一杯生きたいという宮下さん、明日どうなるかは分からない、着地点も特に定めていないけれど、織物の仕事に携わっている限りは、ここで暮らしていきたいと話します。
 富士山に守られたこの地を、自分の足でしっかり歩んでいく、宮下さんの田舎暮らしの形です。

(2013年7月取材)

富士山麓、濃い緑に囲まれた仕事場。

富士山麓、濃い緑に囲まれた仕事場。

 

生地の仕上がりをイメージしながら紋のデータを作ります。

生地の仕上がりをイメージしながら紋のデータを作ります。

 

 

富士の湧水に磨かれた種々の織物。色とりどりのドレス生地。
富士の湧水に磨かれた種々の織物。色とりどりのドレス生地。

 

バラの花をモチーフにしたデザイン。会社内では「なると」に見えると専ら。

バラの花をモチーフにしたデザイン。会社内では「なると」に見えると専ら。

 

誰もが目にするあの生地も宮下さんのデザインによるもの。

誰もが目にするあの生地も宮下さんのデザインによるもの。

 

ご両親は共に富士吉田出身。宮下さんが移住したあとにご両親もUターンされました。

ご両親は共に富士吉田出身。宮下さんが移住したあとにご両親もUターンされました。

 

自然の動植物からデザインのアイデアを得ます。

自然の動植物からデザインのアイデアを得ます。